他者との壁を築く~自己統一する宮本明~

◎形式:考察(Twitterまとめ)
◎2018.05.08.Twitter掲載※一部改変
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    過去のツイートにて、😘の項目について思いついたことがあるのでまとめたいと思います。過去にツイートしたものの再編集版です。



    「成長譚」と書いたが若干ズレていたと感じたため、まずそこを訂正しよう。
    『彼岸島』が宮本明の成長譚であるという読み方は間違ってはいないと思うのだが、成長=自我の確立が必ずしも成り立つとは限らない。
    例えば「他人をいたぶって快楽を得ることが本当の自分なんだ」と認識して成長した子が居たとしたら、確実にそれは所謂「予備軍」という奴に当てはまるだろう。身体が成長しても心が成長したとは言い難い気がする。主観かも分からないが、世の中の報道や事件歴を遡ってみると、悲しくも事例が物語ってしまっている。

    そこでフィールドを『彼岸島』に持って来よう。
    過去に宮本明は雅のことを「もう1人の自分だ」と言っていた。宮本明も少年のころは人間が嫌いで、人間社会なんてなくなればいいと思っていた。しかし後に「仲間(ケンちゃんなど)がいたから乗り越えられた」と語っている。雅と違い、明には心許せる仲間がいて、一人きりではなかった。しかもそういった他者からの温もりを受けとめ、大切にしようと思う気持ちを抱いていた。
    そこが雅との違いであり、二人の「今後」の生き方を決定するターニングポイントだった。加えて、そんな線路の進路変更のようなターニングポイントで別の道に進んでしまったときの姿として、明は雅を捉えている。

    事実、ボートで離島に向かっている最中に、「宮本明は雅に、別の自分(つまり潜在的な人格or性格)を感じている」ということを印象付けた。

    つまり宮本明はそういった自分の中の狂気を消し去り、二面性を排除した上で、自己の存在を肯定しようとしているのではないか。彼はまだ20歳かそこらの青年であり、まだまだ色々なことに悩む時期でもある。(自己の確立の平均年齢は20歳前後。)

    つまり彼は彼岸島で戦いながら、ちょうど自己確立の過渡期を生きていたのだ。
   雅の振る舞いと自分の過去のことも相まって、益々「もう1人の自分」という避けられない思想を持ってしまったため、尚更否定したいはずだし、否定しなければ彼のアイデンティティは崩壊してしまい兼ねない。
    つまるところ、😘のポイントに関しては、「自己確立が完了するであろう時期の青少年が自分と向き合い、忖度をしながら他者を否定したり肯定したりすることで、より自分らしい自我を形成していこうとする」れっきとしたテーマがあるのではなかろうか。

(ただ微かな矛盾点として、肉親や友人らを含め吸血鬼を大量に殺害していることを考えたいが、これはストーリーを成り立たせるために不可欠な展開であるとする。)

    ただこれは間接的な理由でしかなく、あえて直接的な理由を考えた場合、やはりこれまで論じたことにすべて回帰すると思うのだが…。
    ニュークリ的に言うと「雅への復讐」で充分であるし、テストでは正解だと思う。しかし私は別の側面にも注目したい。単に見えている部分だけを考えて終わるのではなく、その構造や主題、原点となる型はどういったものであるのかを考えることによって、物語の本質が掴めるのだと思う。

    つまり自己の確立だ、成長譚でもあながち間違いではないのかもしれない。
    …が、未だに雅のトリックスターロマンスという線も捨てきれず、こいつら二項は対立関係しか生まないからややこしいのだ。

iBlooD

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