モデルとなった七三一部隊
◎形式:考察(文体ライト)
◎2018.03.10.Privetter掲載※一部改変
——————————————————
501部隊のモデルはやはり731部隊なのだろうか。この731部隊については、昔香港で映画化もされており、最近はNHKでの報道も増えたため、知っている人が多いだろう。
【参考】
◎映画:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/黒い太陽七三一_戦慄!石井七三一細菌部隊の全貌
◎部隊:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/731部隊
731部隊がモデルだと思った理由は単純である。実験内容が一致しているからだ。(かと言えばナチス時代のドイツの人体実験とも共通する部分が見受けられるため、一概に731部隊だけがモデルであるとは言い切れないということを始めに提示しておく。)
【731部隊の目的とワーク】
◎目的:生物兵器の開発、新療法の発掘
◎ワーク:細菌実験、生体解剖、凍傷実験、ガス室、銃弾実験など
・上記の内容
・部隊のネーミング
・軍医総監の名前(石井四郎)にかけたかと思しき五十嵐の名前
…などの要素から、深読み等はしなくとも、やはり501部隊にはモデルとなる存在がある、と言えるのではなかろうか。
では五十嵐たちはどういう運びで島に行かされたのだろうか。
満州731の活動記録は'45年までとなっているため、501との活動期間は被っていたということになる。(本誌にも第二次大戦の日本の状況悪化について触れてある。)
ただ関東防給(731)よりは501の方が遅い筈である。理由は単行本を読み、年数を考えてみれば一目瞭然だ。731部隊は1935年に始まり、対して501部隊が活動を開始したのが1942年であった。
そして昭和17年とは'42年であるから、終戦まであと3年あった。
混血実験開始が昭和18年、五十嵐報告書の表紙には「一九四三年」と記載されているため、501部隊が彼岸島にて活動していたのはたったの約一年ということになる。
因みに余談だが、約六十年後明たちと再会した五十嵐はずっと炭鉱の中で暮らしていた。(つまり玉音放送聞いてないのか?)
五十嵐は「お国のためになることがしたい」と言っていたが、この台詞だけでは一概に言及することはできない。(根拠がないとただの妄想(想像)になってしまうから、この場ではそれは避けたい。)
ただ一応ここでは年数がピッタリで、矛盾がない。
「五十嵐は60年〜も生きてたんだァ!!」
の衝撃シーンで、明さんが島に居たのは2002年であると分かっている。大体大雑把に計算をしたとして(2002-60)、1942年になる。報告書を書く一年前で、彼岸島に上陸した日だから丸っきり60年間居たことになるのだろう。
また五十嵐部隊が彼岸島に来た背景のひとつとして、追い込まれる日本軍の状況を3コマ分引っ張ってきていたが、実際五十嵐たちが上陸したのは昭和17年のことであった。
となると昭和18年の出来事を背景に持ってくるのは、少々違和感がないか…?(まあ次コマでこんなことを言っているため、矛盾はしてないのだろうけど…。)
《特に山もオチも目的も無い、ただ思いついたことについて考えてみただけの纏めでした。》
初投下場はTwitterなので、急に始まって急に終わっています。
0コメント